福岡地方裁判所 昭和52年(行ウ)21号 判決 1978年7月14日
原告 乙山秋子
右法定代理人親権者父 乙山春樹
同母 乙山夏子
<ほか七名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 安部千春
同 神本博志
同 池永満
同 三浦久
同 吉野高幸
同 塘岡琢麿
同 河野善一郎
同 前野宗俊
同 高木健康
同 中尾晴一
同 諫山博
同 古原進
同 林健一郎
同 中村照美
同 本多俊之
同 小島肇
同 上田国広
同 岩城邦治
同 井手豊継
同 内田省司
被告 北九州市教育委員会教育長 浅野大三郎
右訴訟代理人弁護士 吉原英之
同 福田玄祥
主文
一 原告らが各自昭和五二年三月二九日被告に進学奨励金及び入学支度金の交付を申請したのに対し、被告が何らの決定をしないのは、違法であることを確認する。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文と同旨
二 被告の答弁
(本案前の答弁)
1 原告らの訴えをいずれも却下する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
(請求の趣旨に対する答弁)
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 進学奨励金及び入学支度金の交付申請
(一) 北九州市は、同和対策事業の一環として進学奨励金及び入学支度金の制度を設けているところ、被告は、北九州市進学奨励金及び入学支度金等支給要綱(以下支給要綱という。)に定めるところにより、進学奨励金等の受給資格者に対しその支給を決定する権限を有する者である。
(二) 原告らの保護者は、昭和五二年三月二九日、全国部落解放運動連合会(以下全解連という。)若松支部の田中学支部長、今井春夫書記長及び野依勇武北九州市市会議員らとともに、北九州市教育委員会へ赴き、学事課係長に面談のうえ、進学奨励金及び入学支度金交付申請書を所定の添付書類(支給要綱五条一項(2)(3)の書類)とともに同係長に提出し、もって、被告に対し、進学奨励金及び入学支度金の交付申請をなした。
ところが、同係長は、右申請書等を受け取りいったん目を通した後、「所定の手続を経てないので受け取れない。」と言って、これを原告らの保護者につき返したので、同行した前記田中支部長らは「所定の手続とはなにか。」、「解同の確認印のことか。」などと質問したが、同係長は、何ら答えようとせず、前言を繰り返すのみで、右申請書等を受け取ろうとしなかった。
そこで、原告らの保護者は、やむなく、右同日、進学奨励金及び入学支度金の交付申請の意思を明示する旨の内容証明郵便とともに、前記申請書及び添付書類を簡易書留で被告に対し送付し、右書類は同年三月三〇日から同月三一日にかけて被告に到達した。
ところが、被告は、右申請が「被告の指定する手続」に従っていないと称して、右申請書等の書類を原告らに返送してきたため、原告らの保護者は、同年四月八日、前記全解連若松支部田中支部長、今井書記長及び野依市議らとともに再び北九州市教育委員会に赴き、学事課長に面会のうえ、前記申請書及び添付書類を提出した。その際、田中支部長らは、同課長に対し、「被告の指定する手続とは何か。」と質問したところ、「解同の確認印だ。」と答えた。
その後、再び被告は、右申請が「被告の指定する手続」に従っていないと称して、右申請書等の書類を原告らに返送してきたのである。
2 被告の不作為
以上のとおり、原告らは昭和五二年三月二九日被告に対し、本件申請をなしたのであるから、被告は速やかに進学奨励金及び入学支度金を支給する決定をなすべき義務を負うところ、右申請のなされた日より相当期間経過した現在(口頭弁論終結時である昭和五三年五月二六日)に至るも本件申請に対し何らの決定もなさない。
よって、原告らは、被告に対し、本件申請について何らの決定をしない被告の不作為が違法であることの確認を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
(請求原因に対する認否)
1 請求原因1項(一)は認める。
2 同(二)の事実は、学事課長が田中支部長らに対し「被告の指定する手続とは解同の確認印である。」と答えた点を除いて認める(ただし、学事課係長は原告らの保護者らに対し「関係団体に置かれている申請書を受領して記入し、関係団体を通じて申請するように。」と所定の手続の内容を具体的に指示説明している。)が、原告らから被告に対し進学奨励金及び入学支度金の申請がなされたとの主張は争う。なお学事課長が答えた内容は、学事課係長の述べたのと同一である。
3 請求原因3項の事実は認めるが、被告が原告らに対し進学奨励金及び入学支度金を支給する決定をしないことが違法であるとの主張は争う。
(被告の主張)
本件訴えは、以下に述べるとおり、その前提である原告らの申請行為が存在せず、したがって、原告らはいずれもその原告適格を有しないので、不適法として却下されるべきである。
1 本件進学奨励金及び入学支度金制度は、同和対策審議会(以下同対審という。)の答申並びに右答申に基づき制定された同和対策事業特別措置法(昭和四四年法律第六〇号、以下同対法という。)の精神に基づいて、北九州市が同和対策事業の施策の一つとして実施している制度である。北九州市は、この制度の実施並びにその支給手続について支給要綱を制定し、これに則ってすべての運用を行っているが、支給手続の前提となる申請手続は、支給要綱五条に定められているところ、同条は、その具体的な申請手続を被告に委ね、被告の指定する手続に従って所定の書類を提出しなければならないこととしている。
そして、被告は、その指定する手続として、「地区住民の自発的意思に基づく自主的運動として地区住民の多数で組織されている歴史と伝統をうけつぐ関係団体の窓口に交付申請書を備え置き、申請者がこれに必要事項を記入のうえ必要書類をととのえて、右関係団体を通じて教育長に提出しなければならない」ことと定めている。右の手続は、成文化し、あるいは書面により指定されているものではなく、進学奨励金等の受給対象者が自ずと限られているところから、被告は、受付の際に各申請者に対し個々的に説明しているが、昭和四一年四月の制度開始以来その趣旨と手続は教育委員会の窓口や関係団体等を通じて対象地区住民に周知徹底され、何ら問題なく実施されてきたものであり、原告らもその内容はよく知っている。なお、被告は、本件の関係では、右の関係団体とは部落解放同盟(以下解同という。)若松地区協議会(以下若松地協という。)を指すものと指定している。
原告らは、本件支給の申込みにあたり、被告の再三にわたる説明にもかかわらず、右の被告の定めた申請手続を全く履践せず、支給要綱五条の定めに従った申請行為を行っていないのであるから、被告としては、原告らの申込みについて審査決定する義務はない。不作為の違法確認の訴えは、処分又は裁決についての申請をした者に限り提起することができるのであって(行訴法三七条)、申請行為をなしていない原告らには、本件訴えの原告適格はない。
2 被告が支給要綱五条の「指定する手続」として前記のような手続を定めている理由は次のとおりである。
(一) 本件進学奨励金等の制度は、前述のとおり同和対策事業の施策の一つであり、他の同和対策事業と同様に、地区住民の自発的意志に基づく自主的運動と緊密な連けいと調和を保って実施しなければならないことは当然である(同対審答申)。
特に、この制度が恩恵的な融和手段としてではなく、受給者においてこの制度の趣旨をよく理解し、自立意識を高めさせ、将来部落解放の担い手を積極的に育成するという目的を有している以上、そのような制度の趣旨を実効あらしめるには、行政当局のみによっては到底不可能であって、前記関係団体との間に連けいと調和を保って実施する以外にその実効は期し難いのである。
(二) 申請者が右制度の趣旨に合致した者であるかどうかは、地区住民の自主的運動としての関係団体を通じて明確にするほかにはこれを明らかにする方法はない。即ち、本件制度の受給の対象者は、同和地区に居住し、かつ、歴史的、社会的にいわれのない身分的差別を受けている者であるが、右の地区に居住しているかどうか、並びにそのような差別を受けている者であるかどうかについては、被告においてこれを判断、認定することは全く不可能である(なお、原告らは新規に受給の申込みをしようとした者であり、被告においては、その対象者であるかどうかについて、全く判断がつかない。)。
(三) 同対審答申には、「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的、社会的、文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」と述べられているが、この趣旨からみても、本件同和行政は、対象地域に居住する人のすべてを対象とすべきではなく、その中の歴史的、社会的に不当な身分的差別を受けている人を対象とすべきものである。このことは、血筋や血統を問題とするのではなく、事実として、その者が現に不当な差別を受けているかどうかを問題としているのであって、支給要綱二条一号が、奨学生の要件の一つとして、「本人又はその保護者が、特別措置法第一条に規定する市内の対象地域に居住し、同和対策事業の対象となる者であること」と規定しているのもその趣意である。身分的差別に無関係な住民が、たまたま同和対象地区に混住するに至ったからといって、本件進学奨励金を支給されるべき必要性と合理性は存しない(昭和五〇年六月一日総理府全国同和地区実態調査によれば、北九州市における対象地区の混住率は四七・九パーセントである。)。
ところで、対象地区の所在と範囲は明確に確定されているものではなく、まして対象地区内において、いわゆる対象地区住民とそうでない者とを判別することは、極めて困難な問題であるのみでなく、行政庁が自ら右のような調査と判別をなすことは、却って差別を助長することとなり、なすべきことではないのである。また、悪質な差別事象の発生が跡を絶たない現状において、不特定多数の市民が自由に出入りする市の窓口に本件交付申請書を備えおくことは、さらに差別を助長することにもなる。
そこで、北九州市においては、同和行政において部落地区住民の自発的意思に基づく自主的運動の歴史と伝統をうけつぎ、地区住民の多数で組織されている解同(市内に小倉、門司、若松、八幡の各地協がある。)を関係団体と認め、同地協との協議を通じて、右認定を行なう方針をとっているのである。
もっとも、被告は、前記の手続を経て申請した者に対し、被告の主体性に基づく判断と責任において、自ら進学奨励金等の支給に関する決定をしているのであって、ただ、前記のとおり、同和対策事業は関係団体と緊密な連けいと調和を保って実施すべきであり、かつ対象者の認定等は関係団体を通してする以外に方法がないために、前記のような申請手続を定めたのであって、歴史的、社会的に不当な身分的差別を受けている人々の基本的人権に関する問題としての事柄の重大性を考えるならば、右は当然のこととして認められるべきであるのみならず、北九州市の実情よりみて、最も妥当な方法として決定されたものである。
(四) 原告ら主張の全解連は、同和事業の対象者につき独自の見解(属地主義)を主張し、かつ、解同をいわれなく誹謗中傷することにより、市民の間に同和地区住民に対する誤まった偏見と差別意識を助長している団体であって、同和行政における北九州市の基本方針と相入れないため、同市において関係団体と認めていないところである(この方針は、北九州市の昭和五二年六月市議会において、共産党を除く全議員の一致で決議されている。)。
ただし、右の北九州市の方針は、全解連に所属する者に対し本件進学奨励金等の支給を拒むことにより、思想信条の相違等による差別を設けるものでは決してない。いかなる団体に加入し、いかなる思想信条を有していようとも、解同の地協を通じて申請すればよいのである。現に、原告らと同じ地区居住者の子弟で三名の者が、昭和五一年度に教育長の指定する手続に従って申請し、進学奨励金を支給されており、昭和五二年度においては五名の者が継続支給されている。
3 以上の諸点に鑑み、被告教育長は前記のような申請手続を定めているのであって、このような手続を経ることこそ、まさに同対審の答申並びに同対法の精神に合致したものと言わなければならない。
しかるに、原告らの保護者は、被告の再三にわたる説明と説得にもかかわらず、前記の被告教育長の定める手続を経ようとしなかったのであるから、原告らは本件の申請手続をなしてはいないのである(従って、また、被告は原告らの申請を不受理としたものでもない。)。
4 仮りに、原告らが原告適格を有するとしても、上記によれば、原告らは行訴法三条五項にいう「法令に基づく申請」をしたとは認められず、本件請求は棄却を免れない。
三 被告の主張に対する原告らの反論及び主張
被告が指定した旨主張する申請手続は、以下に述べる理由により、違法、無効であり、原告らが本件申請を現実になし、現在も決定を待っていることは明白であるから、原告らに本件訴えをなす適格がないとの被告主張は失当である。
1 被告は、支給要綱五条に基づき「教育長の指定する手続」として「地区住民の自発的意思に基づく自主的運動として地区住民の多数で組織されている歴史と伝統をうけつぐ関係団体の窓口に交付申請書を備え置き、申請者がこれに必要事項を記入のうえ必要書類をととのえて、右関係団体を通じて教育長に提出しなければならない」ことと定めていると主張するが、同条において申請の手続を教育長に包括的に委任している点に問題があることは別にしても、被告主張のような申請手続が教育長によって指定されたことについては何の公示方法もとられておらず、市民はこの教育長の指定する手続を知る方法はない。
このような方式で指定された教育長の手続は、それ自体違法、無効であって、何ら法規性を有しないものである。
2 本件進学奨励金等の制度は、北九州市が憲法、同対法、地方自治法上の権能に基づき、その行政の一環として制定実施されたものであり、被告は、その事務を自らの判断と責任において、誠実に管理し、及び執行する義務を負う(地方自治法一三八条の二)ものである。そして、北九州市がその権限の一部を委任もしくは臨時に代理させることのできる範囲は「当該普通公共団体の吏員」に限定されており(同法一五三条)、およそ、その事務を第三者に代行させることはできないのであって、憲法九四条の趣旨からもそのことは明らかである。
被告は、本件奨励金等の交付申請は「関係団体」を通じてなされなければならず、原告らにとってこの関係団体とは解同若松地協であると主張する。しかし、解同若松地協なるものは、何ら法令の規制も受けない純然たる民間団体であり、北九州市がその運営を関知し、これに介入するような立場にはない性格の団体である。しかも、本件進学奨励金等支給手続に関して、解同若松地協と北九州市の間に事務委託契約が締結されている事実もないのであるから、解同若松地協は北九州市に対して法的に完全に無責任であり、まして北九州市民に対して法的責任を負う立場にないことは明らかであって、いかなる意味においても、解同若松地協が北九州市の行政権能を代行することはできないのである。
従って、被告が主張するように、本件申請の「窓口」を解同地協「一本」にすること、即ち被告若しくはその補助機関が直接本件申請を受理できず、解同地協を経由させること自体、受理業務という本来被告に属すべき行政権能を、事実上、解同地協に代行させるものであるから、行政庁の判断を直接受けるという住民固有の権利を侵害するものであり、違法と言わざるを得ない。
仮に、解同若松地協等を通じての申請が単なる経由であるならば、それ自体は合法であると解する余地があるとしても、実態に即して見るならば、原告らの申請が解同若松地協を経由する過程で「申請者が制度の趣旨に合致した者であるかどうかを明確にする」のであるから、つまるところ解同若松地協が北九州市に代って申請を認容し若しくは拒否する権限を有していることになり、これは被告の行政権能の一部代行にほかならず、原告らの有する前記の権利を侵害することは明らかであって、このような経由手続は違法、無効と評価されるべきである。
3 被告は解同地協を通じて申請書類を提出しなければならない理由の一つとして、申請者が本件奨励金等の制度の趣旨に合致した者であるかどうかは関係団体を通じて明確にするほかに方法がないと主張する。
しかし、先ず、本件制度の受給対象者が同和地区に居住する者のうち歴史的、社会的にいわれのない身分的差別を受けている者に限定されるとの被告の主張(北九州市の同和行政におけるいわゆる属地属人主義)に誤りがあり、そのような前提に立つが故に、対象者の判別をしなければならなくなるのである。
即ち、同対法は、同和対策事業が対象地域に対する施策であることを明白に規定しているのであって(同法一条、五条、六条参照)、対象地域における住民のうち「社会的に身分的差別を受け」ている住民のみを対象にする施策とは規定していない。「社会的に身分的差別を受け」ている住民のみを対象とするならば、その基準は血筋、血統であるが、部落が血筋を起源とするものでないことは、学問的にはすでに明らかにされた歴史的事実であり、水平社以来の解放運動も「部落―血筋」という謬見に対してたゝかってきたのである。同対審答申も、世人の偏見を打破するため、この点に触れて、部落は血統によって継承されたものではないことを強調している。
以上のとおり、北九州市の同対法の解釈は明らかに誤ったものである。
なお、仮に被告主張の見解をとるとしても、社会的に身分差別を受けている住民か否かの判断が被告教育長にとって絶対に不可能であるとは到底考えられない。
4 仮に、本件制度の受給資格者が、地区住民の自主的運動としての関係団体を通して明らかにする以外にこれを認定する方法がないとしても、関係団体を解同のみに限るのは理由がない。解放同盟も全解連も各地区単位で組織されており、解同若松地協と全解連若松支部を比べれば全解連若松支部の方が多数を組織しているのであって、全解連は地区住民の自主的運動としての関係団体というべく、受給資格者の認定は原告らの属する全解連若松支部でも十分に可能である。そして、全解連は、解同の部落排外主義と反共、暴力、利権路線の逆流に反対し、部落解放運動の正常な前進をめざしてたたかってきた部落解放同盟正常化全国会議(正常化連)が昭和五一年三月改組し、部落解放運動の本流をになうにふさわしい方針と体制を確立したものであって、まさしく水平社以来の歴史と伝統をうけついでいるのである。
5 被告主張の申請手続は、同和対策事業はすべて解同を通じて行うというものであり、この「窓口一本化」は、かつて多数の自治体において採用されていたが、その結果、解同による同和対策事業の私物化の温床となり、同和対策事業そのものが不公正乱脈を極めるものとなっていった。それにもかかわらず、このような「窓口一本化」行政の実態は、従来いわゆる「解同タブー」のもとで必ずしも国民に明らかにはされなかったが、近時、全解連の結成等、同和地区住民の間に正しい部落解放運動への動きが強まる中で「窓口一本化」行政の不公正、乱脈な実態が次第に明らかにされるようになり、それに対する批判が社会的世論として大きく盛り上るに至った。
このような状況の中で、国は昭和四八年五月一七日政府各省事務次官連名で都道府県知事及び指定都市市長らに対し「同和対策事業の推進について」と題する通達を出し、その中で、同和対策事業の執行に当っては、同和対策行政のめざす受益が対象地区住民に均しく及ぶことが必要であるので、行政の公平性と対象地区住民の信頼の確保のため十分留意するよう指示するに至り、また、各地方自治体においても、このような反民主主義的で不公正な「窓口一本化」を排し、同和行政の民主的かつ公平な運営を追求し、あるいはその方向を表明しているものが多数にのぼっている。
全解連若松支部も、右のような状況を背景に結成されたものである。即ち、従来、解同若松地協は稲国支部のみであったが、昭和四八年三月三〇日、若松区の波打地区に波打支部(支部長田中学氏、書記長今井春夫氏)が結成され、以後同地協は波打支部と稲国支部とから成ることとなった。
その後波打支部は、部落解放のための様々な活動を行うとともに、地区内での学習会、他団体との交流等を精力的に推進し、加盟者は八六世帯、三二〇人にも達した。そして、その中で、特に八鹿高校事件の現地調査や学習を通じて、現在の解同の運動の進め方に強い批判をもつようになってきたのである。
ところで、解同は、いわゆる狭山事件裁判についてこれを差別裁判として位置づけ、これに抗議するためと称して昭和五一年五月二二日に同盟員の子弟を一斉休校させるという方針(いわゆる狭山同盟休校)をうち出した。そしてこの方針は解同波打支部にも伝えられ、その際同盟休校に反対する者は同和対策事業の対象から除外する旨の通告もなされたのである。これを受けて、同支部で数次にわたって学習、討議をなした結果、同盟休校を含め現在の解同の方針は基本的に誤っているという結論に達し、同年五月九日同支部の臨時総会を開き、満場一致で支部ぐるみで解同を脱退し、全解連に加入する旨の決議をなしたのである。
以上のような実情のもとにおいて、なお「窓口一本化」に固執し、解同地協を通じてでなければ本件進学奨励金等支給の申請ができないとすることは、思想、信条による差別をなすものにほかならず、到底許されない。けだし、本件において、原告らが解同若松地協を通じて申請をするとなると、最終的な決定は被告が行うにしても、解同若松地協の意見は原告らの申請が認められるかどうかについて大きな影響を与えることになる。部落解放の運動方針をめぐって同和地区住民の間に深刻かつ様々な対立があり、異る運動方針をもつ団体が複数存在している以上、一方が他方を排除することは十分にありうるところである。
このような現状のもとでは、被告主張の申請手続は、地区住民の間にいたずらに対立と混乱をもち込むのみであって有害無益であるのみでなく、行政の公平性を損うとともに、同和事業対象者の間に新たな差別を生むことになり、同対法の目的に反することになるのである。
以上、いずれの観点からするも、被告が指定したと称する申請手続は違法、無効であって、原告らの本件申請行為は適法な申請と評価さるべきである。
第三証拠《省略》
理由
一 北九州市が同和対策事業の一環として進学奨励金及び入学支度金の制度を設け、被告が支給要綱に定めるところにより右進学奨励金等の支給を決定する権限を有していること、原告らの保護者らは、昭和五二年三月二九日、北九州市教育委員会へ赴き、学事課の係長に面談のうえ、原告らの進学奨励金等の交付申請書を支給要綱五条所定の添付書類とともに同係長に提出したが、同係長は右申請書等をいったん受け取って目を通したのち、所定の手続が経由されていないという理由で右書類を原告らに差し戻し、以後受領を拒んだので、原告らの保護者らは、右同日、進学奨励金等の交付申請をなす意思を明示した書面とともに、前記申請書及び添付書類を被告に対し郵便で送付し、右各書類は同年三月三〇日から翌三一日にかけて被告に到達したが、被告は右申請が所定の手続に従っていないという理由で右申請書等を返送してきたこと、そこで、原告らの保護者らは同年四月八日同教育委員会に赴き、学事課長に右申請書等を再び提出したが、被告はその後再度前記と同一の理由で右申請書等を返送したことは、当事者間に争いがない。
二 被告は、原告らのなした進学奨励金等の支給の申込みは支給要綱に基づいて定められた手続を履践しておらず、本件各訴えはその前提である原告らの申請行為が存在しないから、原告らは不作為の違法確認を求める原告適格を有するものではなく、本件訴えはいずれも不適法として却下されるべきであると主張するので、以下この点につき判断する。
《証拠省略》に当事者間に争いのない事実を総合すると、次の各事実を認めることができる。
1 北九州市における本件進学奨励金等の制度は昭和四一年四月一日に発足したものであり、同市はその受給資格、支給額、交付申請手続その他所要の事項を定めた支給要綱を制定し、これに従って進学奨励金等の給付手続をなしている。
支給要綱五条によれば、進学奨励金等の支給を受けようとする者は、所定の様式による交付申請書に在学証明書、住民票写し等を添付して被告に提出すべきものとされているが、実際の取扱いとしては、制度発足当初より、右交付申請書用紙は解同(部落解放同盟)の各地協(地区協議会)に備え付けられており、各申請者はその者の属する解同地協を通じて申請書等を被告に提出し、その際解同地協の責任者が申請書に確認印を押捺するという方法によっていた。
右支給要綱五条の規定は昭和五一年四月一日改正され、「教育長の指定する手続に従って」所定の書類を被告に提出しなければならないこととされたが、右改正の趣旨は、右に述べた従前の取扱いの根拠を定めようとするものであって、被告教育長は、その「指定する手続」を文書により明らかにしているものではないが、右の「指定する手続」として、各申請者が所属する解同地協を通じて申請書等を提出すべきものと定めている(そのことは、申請者に対し必要に応じ個々的に説明している)。
2 原告らの居住する北九州市若松区波打地区は、いわゆる同和地区の一つであるが、従前は同和運動の団体に組織化されていなかったところ、昭和四八年三月地区住民の発意により解同若松地協波打支部が結成され、従来から存在した稲国支部と共に同地協を構成し、以来同市における各種の同和対策事業の対象とされるようになった。
その後、若松地協波打支部においては、学習会等の活動を通じて同和問題に取り組むうち、殊に兵庫県八鹿高校で生じた暴力事件の現地調査を契機として解同の運動方針に疑問を抱くようになったのであるが、たまたま昭和五一年五月いわゆる狭山差別裁判抗議のための同盟休校が解同の運動方針として打ち出された際、このような活動に子供達まで巻き込むことに対する強い反対意見が出され、何度も集会を開いて討議した結果、波打支部の所属者全員が解同を脱退して全解連に加入し、新たに全解連福岡県若松支部を組織するに至った。
3 北九州市では、本件進学奨励金等に限らず、出産助成金、就職支度金その他の給付、住宅資金の貸付等同和対策事業にかかる各種の給付の申請はすべて解同地協に備え付けられた用紙により解同地協を通じて行わせること(いわゆる「窓口一本化」)としているため、従前解同若松地協波打支部に所属していた者は、全解連若松支部の結成以来右各種の給付を受けられなくなったほか、同市保健所による定期健康診断等も打ち切られる事態となった。
そこで、原告らは本件進学奨励金等の支給の申込みにあたっては、解同若松地協を経由せずに、原告らの保護者らが全解連若松支部の支部長及び書記長と同道のうえ、直接被告の担当職員に申請書等を提出したのであるが、被告の担当職員は、右の申請は解同若松地協を通じてなされなければならない旨を述べ、これに対し原告らの保護者らは右経由手続の不要を主張して譲らず、前記のような書類の返送、再提出及び再返送が行われるに至ったものである。
三 原告らは、被告主張の「教育長の指定する手続」は何をもって定められているのか明らかでなく、一般に知りうる状態にないから、法規性を有するものではない旨主張する。
確かに、進学奨励金等の交付申請手続のごときは、個々の申請者ごとに異なるべき性格のものではないから、支給要綱五条において「教育長の指定する手続に従って」との規定をしながら、その手続の指定を具体的に明確な方式で行っていないのは不自然であるのみならず、仮にその趣旨が特定の申請者につき臨機に任意の手続を指定しうるというのであれば、そのような恣意的な定めは効力を有しないと解する余地があるであろう。しかし、同条の「指定する手続」とは申請書等を解同地協を通じて提出することをいい、それは本件進学奨励金等の制度の発足以来行われてきた手続であることは前記のとおりであるうえに、その支給の対象となる者の範囲が被告主張のとおり比較的限定されていることからするならば、解同地協を通じての申請手続の指定が外部的に明確な方式でなされていないからといって、これが直ちに無効なものであるとはいえない。
しかしながら、本件進学奨励金等の性格を考えてみるに、それは同和対策事業の一環として実質的な教育の機会均等の確保を目的とするものであり、そこで本質的に重要なのは、本来進学奨励金を受けるべき地位にある者が適正に選定され、これによって同和問題の解決に効果的に寄与することであるのは多言を要しない。従って、右の「指定する手続」もこの見地にたって定められるべきものであり、もし仮に、右「指定する手続」が著しく不合理なものであって、そのために本件進学奨励金の制度目的が甚しく阻害されるような場合においては、右の手続の指定は違法、無効と評価されてもやむを得ないものと解される。
四 そこで、右の点につき考えるに、被告の主張によると、本件進学奨励金等の交付申請書及びその他の必要書類を解同地協を通じて被告に提出しなければならないとした理由は、同和対策事業の一環たる制度の目的を実効あらしめるためには、地区住民の自発的意志に基づく自主的運動と緊密な連けいと調和を保って実施する必要があること、進学奨励金等の支給対象者を被告が独自に判定することは不可能であって、前記の自主的運動としての関係団体を通じてこれを明らかにする以外に方法がないこと等の点にあり、右のような取扱いは制度が発足した昭和四一年四月以降現在まで何ら問題なく実施されて来たというのである。
なるほど、右に被告の述べるところは、同和行政における理念として妥当性を有するとともに、同和行政の実施面における特殊な困難性を反映したものと考えられ、被告の指定した手続の合理性を一概に否定することはできない。
しかしながら、右のように、同和運動の関係団体を通じて同和事業対象者を明らかにするという方法は、関係団体が一つに統合されているか、あるいは複数の関係団体の間に正常な関係が保たれている場合には問題なく有効に機能するであろうけれども、関係団体の間に対立、反目が存在するときは、そこに複雑、困難な問題が生じることは容易に予測きれるところであり、更には同和行政本来の目的に背く結果となることも考えられる。
これを本件についてみるに、原告らが被告の再三の勧告にもかかわらず本件進学奨励金等の交付申請を解同若松地協を経由して行わなかったのは、従前原告らの保護者らの所属していた解同若松地協波打支部が解同から脱退して全解連に加入したためであることは前記のとおりである。そして、右の脱退が同和運動団体内部における活動方針についての対立を原因とすることも前記のとおりであるが、更に、《証拠省略》によれば、同和運動の方針をめぐり解同内部で生じるに至った対立、抗争及びこれを引き継いだ解同対全解連の対立関係は、同和運動のあり方についての基本的な認識にかかわる性格のもので、かつ、全国的な規模を有し、容易には氷解し難いものであることが窺われる。そして、証人今井春夫の証言によれば、原告らの属する解同若松地協波打支部が解同を脱退して全解連に加入するに至ったのも、同和運動団体間の大きな対立関係の一端に繋るものと認められる。このような状況であるから、原告らないしその保護者らに対し、全解連に加盟しつつ本件進学奨励金等の交付申請は解同若松地協を通じてなされるのを期待することは困難であるといわざるを得ない。
以上のとおりであって、解同を通じての申請手続が効果的に機能してきた基盤は既に失なわれたというべきであり、そのためにこそ、本件紛争が生起するに至ったということができる。
右のように、本件指定手続の合理性を担保する前提はもはや消滅しているのにかかわらず、なお従前の取扱いを「被告の指定する手続」として原告らに強制することは、事実上原告らに対し本件進学奨励金等の受給の途を閉ざすことを意味し、著しく不合理な結果をきたすものといわざるを得ない。
もとより、右のような事態となったのは、もっぱら同和運動団体の側の事情によるものと考えられ、その結果として行政庁の側で円滑かつ効果的な同和行政を実施するにつき困難を来たしていることは理解できるけれども、情況の変化に応じてより適切な対策を講じて行くのは行政庁の責務であり、例えば《証拠省略》により認められる、兄弟のうち解同脱退前に申請をした者は進学奨励金を受けているのに、脱退後の者は申請すらできないということは、どのように考えても不合理というほかない。
なお、被告は、同和対策事業の対象者は、関係団体を通じてでなければこれを明らかにすることはできない旨主張するが、被告のいう関係団体とは解同を指すと解されるところ、原告らの属する全解連若松支部がかつては解同若松地協波打支部であったことから考えても、被告において原告らが同和対策事業の対象者であるか否かの判断をなす手段を全く有しないとは考えられず、被告の右主張は失当である。
五 以上考察したところからすれば、被告の指定した手続の履践が本件申請の要件であると解する限り、右指定手続は違法、無効といわざるを得ない。
しかしながら、右指定手続が成文化されておらず、申請者に対し口頭で説明されていること、また、申請者が解同に属する場合にはその所属地協を経由して申請書等を提出するのは被告主張のような利点があることをも考え合わせると、ここでは右指定手続を合理的に解釈し、右は申請行為の有効要件たる性格を有しない訓示的なもの(いわば行政当局の要望を述べたもの)に過ぎないとみるのが相当である。
従って、原告らが右指定手続を履践していないからといって、本件進学奨励金等の交付申請行為が存在しないということはできず、被告の主張は採用できない。
そうすると、冒頭掲記の当事者間に争いのない事実によれば原告らは被告に対し、いずれも昭和五二年三月二九日付で同日、支給要綱に従って本件進学奨励金等の交付申請書及び所定の必要書類を提出したことにより、有効に本件進学奨励金等の申請をしたと認めることができる。
六 次に、被告が原告らの右申請につき決定をしないことが違法であるかどうかについて判断する。
原告らが、被告に対し、昭和五二年三月二九日に本件進学奨励金等の交付申請をなしたことは前認定のとおりであり、被告が本件口頭弁論終結時に至るも交付の許否につき決定をしないことは、当事者間に争いがない。
被告が右のように原告らの申請に何らの応答もしないのは、前述したとおり、原告らが被告の指定した手続を履践していないため申請行為が存在しないという理由によるものであるが、被告の右主張が失当であることは既に述べたとおりである。
また、支給要綱によれば、被告は進学奨励金等の交付を申請した者について受給資格の有無を判定し、許否の決定をなすべく義務づけられていることは明らかであるところ、原告らが現実に右の交付申請を行ったことは前認定のとおりであるから、右が行訴法三条五項の「法令に基づく申請」に該当することは明らかである。
しかるに、被告は本件申請がなされた後一年以上を経過しても、原告らに対し本件進学奨励金等の交付の許否につきいずれの決定もなさず、かつ将来その決定をなす意思があるとも認められないのであって、かくては本件申請をなした原告らの地位を不安定ならしめることはいうまでもなく、被告の右不作為は違法であるといわざるを得ない。
(結論)
以上の次第であって、原告らの請求はいずれも理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 南新吾 裁判官 兒嶋雅昭 井上哲男)